朧月夜の紅茶時間

【2才息子と1才娘】2児ママの妊娠・出産・育児のブログ。

【出産 初産婦】出血から始まった

こんにちは!!紅茶です。

出産してから早6ヶ月。育児も少しずつ慣れてきて自分の時間をとれるようになってきました。だいぶ時間が経ってしまいましたが、忘れないうちに私の出産体験を書き綴っていきたいと思います。

まずはじめに。。

私自身出産してからというもの不安な毎日を過ごしておりました。そんな中、他の方々の体験談を読むことで共感したり、心配事が緩和したことがありました。私も赤裸々に体験を残しておくことで、同じ経験をされた方や、これから出産される方へ情報提供ができればと思います。

生々しい表現や、グロテスクな表現が含まれるため、苦手な方は観覧をお控えください。(写真はございません)

私の出産過程は、予定日前の出血→18時間に及ぶ陣痛→吸引分娩です。

 

 

 紅茶出産体験談

 

出産予定日1週間前の出血

予定日は、2019年11月7日。

あと一週間で予定日だな。などと思っていたハロウィンの朝5時半ごろ

生理痛のような下腹部の痛みで目が覚め、トイレに立ちました。すると、紙に赤いものが付着しており、寝ぼけながらもよく見てみるとトイレの水が鮮血に染まっているのを見て一気に目が覚めました。

出産前に起こる現象『おしるし』ではなさそう?だったのです;

陣痛が来ている様子はなかったのですが、読んでいた本に鮮血=即病院に電話と記載されていたので、パパを起こしてかかりつけの産婦人科に電話しました。入院準備をして、すぐに来院するよう言われます。

(タクシーを呼ぶアプリを用意していたのですが早朝のため(?)か全く捕まらず、結局駅まで歩いてタクシーを捕まえる羽目になりました。駅はすぐそこなので余裕だろうと思っていたのですが、歩くと重たいお腹が痛くなり全然前に進めない。。。事前にしっかりタクシー会社を確認しておくか、パパか誰かにタクシーを家の前まで連れてきてもらった方が良かった。。。)

産院に着き、すぐに診察してもらった結果。既に出血は止まっており陣痛もきていないけれど出血したことが確認できたため、様子見で1日入院することとなりました。陣痛を促すため、院内をたくさん散歩するように言われます。

陣痛が来ない。。。

早朝からバタバタしてやっと病室に落ち着いた朝9時ごろ

パパに朝ごはんを買ってきてもらい仕事へ見送った後、院内の施設散策を兼ねて散歩をします。だいたい回り終わりベッドに横になってしばらく。。。暇なので再び廊下を往復。昼の12時になり、昼食が登場。ボリュームたっぷりなバランスの良い食事を終え、いざ院内徘徊を再開。しかし、なかなか陣痛らしきものは来ません。院内もそんなに広くはないので、廊下を行ったり来たりする程度。これが結構精神的に応えます。

明日の朝に再検査をし、異常も陣痛も確認されなければいったん帰宅するよう説明がありました。せっかく産院に来たのに再び家からのスタートになるのは、正直しんどいと感じていまいた。その想いを赤ちゃんがくみ取ってくれたのか、夕方頃から陣痛らしき痛みを感じ始めました。深夜2時には陣痛間隔が5分になったので、遂に陣痛待機室に移動したのでした。

そう、ここからが18時間という長い長い陣痛の幕開けである。

陣痛開始から18時間の戦い

 陣痛の痛みとは、外の世界に出ようとする赤ちゃんが引き起こす痛みだそうです。赤ちゃんとお母さんの準備が整った時に、自然に分娩へと至るそうです。

陣痛待機室ではモニター(後期の妊婦さんは経験があると思いますが、お腹にベルトを付ける胎児心電図)を定期的に実施しながら、陣痛間隔を確認していきます。山が登っていくと、陣痛が来る痛みに備えます。

この痛み、始めは我慢できます。私も繰り返し起こる痛みを夜通し朝まで一人で耐えておりました。5分間隔くらいで痛みが押し寄せてくるので一切眠ることができないのですが、眠い…などと思っているどころではなかったと思います。

もう一人の妊婦さん

朝6時ごろ。産院に一本の電話が入り、産気づいた他の妊婦さんがやって来ました。貸し切り状態だった陣痛待機室は空のベッドをひとつ挟んで二人となりました。旦那さんに付き添ってもらっているであろうもう一人の妊婦さんは、朝8時ごろには「りきみたい」と叫んでおりました。私も痛いには痛いけれど、まだそこまでじゃないなぁ。と思いながら改めて思うのです。

りきむって何だ・・・!?」

 ここぞ!という時には自然にりきみたくなるとのことなのですが、果たして私も上手くできるのか不安になってきました。その妊婦さんは間もなくして分娩室へと進んで行きました。どうやら子宮口が8センチになったら分娩室へと向かうようです。私の場合陣痛開始から7時間ほど経って、この段階で6センチほどでした。あともう少し・・・?

後日知ったのですが、もう一人の妊婦さんも同じく初産の方で、赤ちゃんのサイズもほぼ同じでした。自宅待機時どのくらいの時間を要したのかはわかりませんが、来院後割とあっさり出産できたようです。

パパという心強い存在

朝10時ごろ。雑用を任され荷物いっぱいのパパが来院。先ほど旦那さんに付き添ってもらっていた妊婦さんがとても羨ましかったので、本当に嬉しかったですし安心しました。

出産現場は男性には刺激が強すぎて出産後の夫婦生活に支障をきたすこともあると聞き、はじめは出産に立ち合わない方向で考えていました。しかし、パパもモニター越しに陣痛が目視できるので、うなされる私を一生懸命サポートしているうちに、長く険しいこの戦いに最後まで立ち会うと決意してくれました。

本当にパパには感謝したいと思います。

お昼12時。昼食が運ばれてくるものの私は陣痛で食べられなかったので、ベッド横でパパに食べてもらいました。ちなみに夕方6時の夕食もパパにあげました。後ほど料理の感想を聞いたところ「隣でこんなに苦しんでいる人がいると、落ち着いて食べれなくて、味なんて全然わからなかった。」とのこと。

相当、疲労困憊していました。

なかなか進まない陣痛の原因

子宮口6センチからなかなか先に進まなくなり、何時間も泣きながら陣痛に耐えておりました。どうやら赤ちゃんの体の向きが通常と左右逆なので、骨盤に上手く頭がはまらないようなのです。通常母親の左側に背中があり赤ちゃんは右側を向いているようなのですが、私の場合、右側に背中があり左側を向いていました。というのも、妊娠30週ごろまで逆子になってしまうことがあったため、いつも右を下にして寝るようにしていたからです。

赤ちゃんの向きを変えるため、左を下にして横になるよう言われるのですが、これがめちゃくちゃ痛くて苦しいのです。人間楽な方に逃げがちですが、これを頑張らなくてはいつまでも陣痛に耐え続けなければいけません。意を決して左を向くと、痛みが増して嘔吐します。パパに受け皿をスタンバイしてもらいもがき苦しむのですが、限界になると立ち上がって何かにもたれ掛かりました。意外と立っている方が痛みを我慢できるのです。

しかし、それではお産が進まないので、また泣きながら左を向いて横になるを繰り返しました。暫くして先生に確認してもらい、赤ちゃんが骨盤に降りてきているとのこと。左向きを頑張ったかいはありましたが、本当に大変なのはこれからなのです。

りきむとは?

午後4時ごろ。赤ちゃんが出てくるための準備がお腹の中で整ったわけですが、助産婦さんに「りきみたい?」と聞かれてもいまいちピンときません。

この段階で既に陣痛開始から14時間以上と時間がかかり過ぎているため、破水することでお産を促すことになりました。パパをカーテンの外に追い出し子宮口を確認してもらうのですが、陣痛が来る時に合わせて指というか、もはや手(?)をぐぐぐっと奥に突っ込むので、それもめちゃくちゃ痛い(泣)カーテンの中から聞こえる私の断末魔をパパはどんな想いで聴いていたのでしょうか。。。胃が痛くなりそうですね。

ここからは、汚い表現を含みます。

今までは子宮口の開き具合を見ていましたが、今回は破水を促すためにベッドの上に巨大な防水シートを敷き、いきむよう言われます。ついにきた!!りきむってどうすればいいんだぁ!?とりあえず頑張ってみます。「そっちじゃない。けど、まずは全部出しちゃって」と言われます。人生最大の羞恥でしょうが、もはや恥ずかしいとかそんなことを考える余裕なんてございません。。。さて、防水シートも取り換えすっきりしたところで、もう一度りきみます。

助産婦さん曰く、りきむコツは膝の裏に手を入れ脚を開いて自分の方へゆっくり力いっぱい引き寄せます。りきむ時は陣痛がある時なので、痛みを堪えるのですがこの時に『声を出さない』ことがポイントだそうです。「いたいー」はもちろん「ん゛ん゛~~」という漏れるようなのもダメ。尚且つ、赤ちゃんが酸欠になってしまうので息は止めない。

このコツがなかなか掴めず「声を出さない!!」と何度も何度も助産婦さんに怒られました(笑)「お母さんになるんでしょう!!」と言われ、「な゛る゛ーー!!!!」と気合いを入れられたのを、今でも鮮明に覚えています。

この後、どばぁっと温かいものが流れ出し上手く破水できたようでした。分娩に向けて左手首に点滴用の管を取り付けます。結局分娩室に向かうことができたのは、パパが私の危機迫る圧力に耐えながら夕食を食べ終わった夕方6時半ごろでした。

吸引分娩からの大量出血

分娩台に乗り、いつでも戦闘態勢に入れるようにします。相変わらず陣痛は定期的に起こり、未だに左を向かなくてはならない状況でした。分娩室に移動したら、すぐ産まれる!というものでもなかったです。

時間が経つにつれて強くなる陣痛の波が絶え間なく押し寄せてきて、我慢できなくなり力いっぱいりきんでしまいます。ピーピーピーという音が部屋中に鳴り響くのですが、これが鳴るのは上手くりきめている証拠なんだという思考回路になっておりました。後々、モニターの警戒音が鳴っていたのだと知ります。赤ちゃんが苦しい状況だったようです。

暫くして院長先生が登場し、一気に場の空気が変わります。その時院内の妊婦は私一人だったので、先生方と携わって下さっていた助産婦さんや看護師さん含め6人がかりの分娩体勢となりました。左向きに横になっていた体を仰向けにし、いよいよ分娩台の形が変わっていきます。踏ん張りやすいようになった分娩台の形に合わせて体をセットします。会陰切開するので麻酔の注射を何針か打ち、私の場合はここまで時間もかかっており体力も消耗しているだろうということを考慮して吸引分娩する事になりました。赤ちゃんの頭が出てきたら吸盤のような物をくっつけてタイミングを合わせて引っ張るという物です。

さあ、もうすぐ解放されることを期待して、陣痛のタイミングに合わせて息を吸い込んで、頂点になったらここで一気にりきむぅ!!!!

「声は出さない!」

「息は止めない!」

「目は閉じない!」

助産婦さんに声をかけてもらいながらひたすら何度も頑張ります。「頭が出てきたよ!」という声と「次、お手伝いさせてね」と院長先生に言われます。波が来て、息を吸い込んだらぐううぅっとりきむ。院長先生にお腹をぐっと押してもらい、遂にその時が!!

赤ちゃんを受け取る側にいた先生がパパに声をかけ、パパはビデオを構えます。

2019年11月1日午後8時22分

私からも頭が出てくるのが見え、抱き上げられた赤ちゃんはすぐに元気な産声をあげました。その声を聞いて全身から力が抜けた代わりに、何とも言い表せない不思議な気持ちと溢れ出る感動で身体中が満たされていきます。赤ちゃんの首に少しへその緒が巻きついていたそうですが、問題はなかったようです。しかし、これで終わりではないのが出産というもの。赤ちゃんを助産婦さんとカメラを持ってそれを追うパパに任せ、私は残りの仕事を片付けます。

赤ちゃんを出しきったお腹を揉まれると、でろんと胎盤が出たのが分かりました。赤ちゃんに比べればなんてことはありません。その後、裂けてしまった傷口を縫うのですが、それがまた痛い。。。麻酔は効いていると思うのですが、血がなかなか止まらないらしく、その血を拭うのも地味に痛くて痛くて、おそらく体感的には30分程かけて50針近く縫ったような気がします。気が遠くなるような気分でした。

縫合が終わりひと段落したところで、赤ちゃんとパパが戻ってきました。分娩後の私はこのまま暫く分娩台に横たわったまま過ごすので、助産婦さんが赤ちゃんを私の腕の中に抱かせてくれました。遂に我が子とご対面です。と、とっても小さい(震)これから始まる家族3人の生活を楽しみにしつつ、束の間の家族の時間を過ごしてパパは帰宅しました。

赤ちゃんを預け体を休めた後、自分の部屋に向かう為の車いすがやって来ました。ゆっくり起き上がってみるとフラつきもなく意外と平気そうです。ベッドから降り、車いすに腰を掛け、ステップに右足を乗せ、左足を乗せ・・・・・・

「・・・・さん!!・・・さん!!紅茶さん!!」

頬をぺちぺちされて、何のことかわからずにいたら分娩台にもう一度横になるよう促され言われるがままに分娩台へと戻りました。あ、

失神!?してた・・・みたい。人生初だ。。。

結局、分娩台で朝まで寝ることとなりました。妊娠中は仰向けで眠ることができなかったので久々に仰向けで寝ることができたのがとても嬉しかったです。まぁ、全然眠れないんですけどね。アドレナリンがみなぎってるのかなぁ。。。朝ご飯の前に動くベッドでお迎えが来て、元は3階の部屋だったのですが2階のナースセンター目の前の部屋に荷物ごと移動することになりました。

出産後の貧血・痛み・皮膚などの変化

最終的に母子手帳に記入された分娩所要時間は18時間28分・出血量は多量(1210㎖)でした。赤ちゃんの身長48,5㎝・体重2918gと予定日より1週間ほど早いこともあって標準より少し小さめかと思いますが、私自身150㎝ない小柄な人間なので、頑張ったんじゃないかなと思っています。

出産時何度も繰り返し警戒音を鳴らしてしまったので、赤ちゃんが頭を圧迫され頭部に頭血腫ができてしまいました。数日めまいや吐き気が起こっていたらしく、よくミルクを吐きこぼしていたようです。次第にぷにぷにしたでっぱりは吸収されなくなるのですが、入院中に他の妊婦さん達がどんどん出産していくのがわかる部屋だったので、我が子の頭にポコッと水が溜まっているのを見るたびに、もっと上手に産んであげられたんじゃないかと泣いたこともありました。けれど、院長先生や助産婦さん達に励まされ「100点満点のお産でしたよ」と言われた時に、生まれてきてくれたことの嬉しさの方が勝るようになりました。

入院中は貧血と診断されましたが輸血はせず、鉄剤の注入と退院後の錠剤を処方されました。入院中は毎朝鉄剤を注入するので左腕の管は5日間抜けなかったため、授乳時や赤ちゃんを抱っこする時にたまに引っ掛けてしまうのが地味に痛かったです。トイレに立つ時やシャワーを浴びに行く際にも、暫くは貧血で転倒しないようにナースコールで看護師さんを呼んで付き添ってもらっていました。

夜中にゆるんだ腰を変にひねってピキーーン!となり動けなくなってしまいナースコールで助けを呼んだり、出産時の強烈な筋肉痛が数日後に全身を襲ったり、朝起きると両足が別人の脚かと思うくらいパンパンにむくんでいてたり、急に蕁麻疹や湿疹が手や脚、お尻にかけてぶわぁっと出たり、本当に今までにない色んなことが次から次に起こりました。出産後、下の傷口の痛みがやっと気にならなくなったのは3ヶ月後の事でした。会陰切開をしていたとはいえさらに相当裂けたんだなぁ。。。と、想像するだけで恐ろしいです。ドーナツクッションが3ヶ月手放せませんでした。

これが、人生初の体験が目白押しだった紅茶の出産体験談でした。へその緒が入った木箱の隣にある私の手形がくっきり残った安産の御守りを見ると、色々なことを思い出します。これからも育児という未開の地に足を踏み入れていくことになるので、今後も体験を綴っていきたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。